マインドそのままに

特記事項なし

2018 9 29 出勤

明日は台風なので、休みになることが決定した。家に帰ってきて早々に「あ、模様替えしよう」と思い立った。こないだ大きな虫が迷い込んで、部屋中追いかけ回した時に、ベッドも棚もひっくり返したので「こんなに簡単に家具は動かせるんだったか」と思い出したところだった。

まず、3つの部屋の照明をひとつづつ外して、それぞれ付け替えた。広い部屋が、オレンジの照明になった。あとはベッドと本棚、服の棚を広い部屋に移行。狭い部屋の物は全て取り出して、空っぽにした。大きな窓の隣にベッドを置くことを躊躇していたのだけど、置いてみたら悪くない。ベッドサイドの窓は、大きければ大きいほど良い。3つに分散していた本棚は、ひとつの部屋にまとめたら、本来あるべき姿に戻ったような感じだ。これだったか正解は。

前の状態も好きだったが、今の状態もなかなかいい。どの部屋に住んでいるときも、案外「この部屋好きだな〜」と思っていた気がする。窓から入る光や、寝転んだまま見える空も。

実はまだ本棚に本を詰め終わっていない。ちょっと疲れたのでおやすみ。

外は雨が降り出して、台風のことを思い出した。

 

 

2018 9 28 休み

やろうと思っていたことはたくさんあったけど、結局街に出てきた。

夜はふらふらと人が夜を各自楽しんでいて、落ち着いて歩き回ることができるなというかんじ。

買うつもりのなかった服まであっさり買ってしまって(まあ確実に着るのだけど)カレーを食べて帰る。

 

休みが不定期になったので、自分が街にどのくらいの頻度で出てきているのか把握出来ていない。カレンダーに丸をつけたのだけど、丸がたくさん重なってしまって、全然わからなくなってしまった。

2018 9 25

平日の娯楽施設にいると、自分がこの場の楽しい雰囲気を支える一部としてしっかり機能しなくてはという気持ちになってくる。

 

昨日は休みだったが、久しぶりに作品のためにやるべきことをやったので、心は穏やかだった(身体の疲れはなかなか)

飲みにいった先でもぼんやりと話を聞いていたが、たしかに言われてみると私の作品に深く関心を持ち態度にしめして(もしくは言葉にして)くれた人は、指折り数えるほどしかいなかったかもしれない。(その人たちのことはみんな覚えている)世の中の絵描きならば誰でもわかってくれるなどと思い上がっていたが、わからない人達もたくさんいたのである。見逃していたというのか、良く言ってくれる人のことばかり見ていたという感じである。

しかしその話をきくと久々に、「お前らにわかってたまるか、そんなに理論整然とわかってたまるか」という気持ちが湧いてくる。でも、物の魅力が伝わらないのは、わたしの力不足なのだろう。まだ、凛とさせてやるとこが出来るのだろう。

 

2月の展示まで、休みの数を数えると震える。今度こそ、時間に追われるのはいやだ。出来ることから、出来るところまで全部する。まずはやたらと不安にならないように、スケジュールの把握から。あとは話をしてくれる人がいるだけで、安心感は違うのだから。

2018 9 24 朝

職場が変わって、朝と呼べる時間帯に起きるようになった。この町に住んで四年目だが、朝の空気は飲み明かして帰ってくる時しかほとんど知らなかった。

最近は晴れているので、朝日が窓から差し込んで目が覚めるようになった。窓際で眠っているが、今朝になって今更ながらやっと、足元側のカーテンだけを開ければ、眩しすぎず、顔だけ日焼けするという事態も避けて日光を感じることが出来ると気がついた。

「今日もまたこのロッカーから1日が始まる」という歌詞があったが、そんな暮らしをする時が来るとは思っていなかった。だから、こういう暮らしをしてみるのもおもしろいかなと、今は思っている。今まで他人事だと思っていた世の中の事象が、少しずつ自分に近づいてきている。数年前、サイモンフジワラを見たときの悲しみ(悔しさ)が、自分の中で納得のいくような形になることを祈る。